元よしもとの“謝罪マスター”が、刑務所で働く理由【スマート会議術第91回】

元よしもとの“謝罪マスター”が、刑務所で働く理由【スマート会議術第91回】モダン・ボーイズCOO/作家 竹中功氏

「昨日まで刑務所におったんですわ」

開口一番、そう言った竹中功氏。

さすが元吉本興業の男である。いきなりボケをかますところは抜かりない。竹中氏は、業界では知らない人はいない“謝罪マスター”の異名をとる元吉本興業の広報マン。

吉本興業を退社後は、企業の広報コンサルタントをはじめ、ラジオ番組のパーソナリティ、コメンテーター、作家として活躍。

刑務所にいたというのはウソではない。竹中氏は現在、刑務所で釈放を迎えた受刑者たちの社会復帰プログラムのサポートをしているのだ。

「芸人も囚人も同じですわ」とさらりと言う竹中氏。今年は吉本の謝罪会見がメディアを騒がせたが、竹中氏にとって“良い謝罪”とは、相手の気持ちを理解することだという。

「“良い謝罪”ができれば良い人間関係を築くことができる。ウソや強欲、見栄は生まれない」と。

吉本で学んだお笑いやコミュニケーション、さらに刑務所で受刑者に伝え続ける「自分を愛するコミュニケーション」について、お話をうかがった。

目次

気づいたらいつの間にか謝罪担当になっていた

――竹中さんは“謝罪マスター”の異名で知られますが、どんな経緯で謝罪のプロとなったのですか。
吉本興業を辞めて今年で4年になりますが、最初はベンチャー企業の広報のコンサルタントなどをやっていました。そんなとき、ベッキーちゃんの不倫騒動やショーンK氏の学歴詐称騒動など、世間でいろいろ謝罪会見が話題になり、謝罪のあり方が問われる時代が来まして。その頃に出版社に勤める友人から、「謝罪の本を書かないですか?」と話をもらったのがきっかけです。
――広報の一環として謝罪するケースが結構あったのですか。
そうですね。吉本興業に入社したのは1981年ですが、当時、芸能界でちょうど大物歌手の反社とのつきあいが発覚したときだったんです。その翌年に吉本のタレントが反社とつき合っているビデオが出てきたと、新聞社から連絡があった。僕は普段は「こんなイベントします」とか、「こんなCDが出ました」とか、プッシュ(売り込み)する広報だったんですけど、その頃からトラブル対応をする仕事もするようになったんです。「誰がこんな反社との仕事をとったんですか?」「お金いくらもらったんですか?」とメディアがどんどん攻めてくる。それに対する窓口が全部僕だったんです。そうやって広報マンとして事件が起きたときの謝罪案件を扱うようになりました。
それ以外にNSCという養成所をつくったり、映画をつくったり、劇場をつくったりしていたんですけど、広報は兼務していたので。「何かあったら、とりあえず竹中出てきてなー」みたいな(笑)。

一番大事なのは真実を知ること

――タレントの謝罪は、どういう段取りで進めるのですか。
僕は「シナリオ」と言っていたのですが、謝罪の段取りを考える上で、なぜこんなことが起きたかを聞き取っておかないといけない。聞き取った上で、誰に何を謝るかと言ったシナリオを書くんです。シナリオとは謝罪の設計図みたいなもんですから。
――聞き取りでタレントは素直にすべてを話してくれるものですか。
僕は刑事ではないですが、話を聞き出すのは上手だったと思います(笑)。ムードや顔色、セリフとかで上手く話させることができたんですね。たとえば、女性関係のスキャンダルだと、恥ずかしくて言いにくいことがありますよね。相手の女性は一般人だったりして言いにくいこともある。奥さんにバレたくないとかもある。バレたくないからごまかそうとしているとか、言い訳しているとか、いろいろにじみ出てくるんです。男だったら男同士でないとわからないこともある。僕が年上だったら何となくわかってあげて聞き出せることもある。一番大事なのは真実を知ることなので。
たとえば、女性スキャンダルを起こしたタレントのマネージャーが若い女の子だったりしたら、報告を受けても残念ながら信用できない。タレントも若い女の子には言いづらいことがあるわけです。だからマネージャーからの報告だけじゃ足りない。自分でも聞き取りをしなきゃいけないと思ったわけです。「なんや、そんなことかい」と思うような些細なことでも、そいつにとっては奥さんに絶対にバレたくない。本当に好きな彼女にバレたくないとかあったりするんです。
でも真実をすべて把握しないと、起きた原因が何なのか、誰に迷惑をかけたのか、誰に謝らなきゃいけないのかわからない。だから本人を問い詰めるのではなく、正直にすべてをぶちまけるような気持ちにもっていくんです。

自分にインタビューをしてまず自分と向き合う

――いま、働き方改革の一環で、上司と部下のコミュニケーションを円滑にするために「1on1ミーティング」を導入する企業が増えています。竹中さんのコミュニケーションは、その考え方に似ていますね。
僕は1on1ミーティングを知らないですが、これはいま、刑務所でも同じことをやっています。刑務所では受刑者と1対1に限らず3人とか多いときで8人ぐらいでやるんです。十年前後刑務所にいて、もう一ヶ月もしたらシャバに戻るということで、社会に適応する練習をするんです。
たとえば3人の場合、Aさん、Bさん、Cさんと順番に話を聞いていくのではなくて、Aさんがしゃべったら「Bさん、Aさんのことどう思う?」って回す。今度はBさんがパスしてくれるんです。また、「AさんとCさんとさっき同じ意見を言ったけれど、Bさん、さっきあかんと言うたよな。BさんもCさんに何か言ってくれや」って。「そんな考え方ではダメだと僕は思います」とか言ってくれて。勝手に回りだすんです。
それは吉本でやっていたこととよく似ているんです。「ほんまのことをしゃべってみい」と。聞き手が自分のことをしゃべらなかったら、相手はしゃべってくれないです。学校の先生でも、物知りで頭が良くて口達者だけど教えるのが下手な人っているじゃないですか。あれはコミュニケーション能力が低いわけです。聞き手が自分のことを素直にしゃべったら相手も「こんなに自分のことしゃべってくれるんや」と、素直にしゃべってくれるようになるんです。それは吉本でも学んだし、刑務所でも学んだんです。
――記者がするインタビューみたいですね。
インタビューという意味では、たとえば刑務所で「自分にインタビュー」という時間があるんです。「自分史を書こう」という授業で、大人になったら何になりたい?」とかの話しをするんです。
まず自分が自分にインタビューをするってどういうことかを教えます。「インタビューというのは、どんどんずけずけ人の心に入り込んでいって、本音を聞き出すことや。興味があったら、そこをどんどん突っ込まなあかんで」という話をするんです。
そして、たとえば10歳の自分にインタビューをするんです。「小学校5、6年生として、放課後に誰と何をして遊んでいますか?」って質問をして書かせるんです。自分が10歳の自分に質問をするんです。「放課後、友だちと野球しています」って書く。「友だちが誰かを書かなあかんやろ」って言うと「ヨシタカくん」とか名前を書いて。「公園で」って書いたら、「公園の名前あったやろ」って聞く。「そこをひとつずつ具体的に聞き取らなあかんで」って。自分が目の前の10歳の自分にインタビューをするんです。結構難しいですよ。
そして、最後にひとつだけ「大人になったら何になりたい?」って聞いてもらうんです。たとえば、「サッカーが好きだからサッカー選手になりたかった」とか、「巨人が好きなので野球選手になりたかった」とか、「弁護士になりたかった」とか、適当に言います。
それを一通り聞いて、みんなが書き終わったときに、「大人になってなりたい仕事を書いた人で、実際にその仕事に就いた人は手を挙げて」って言うと、たまにいるんです。「大工さんになりたい」って言う人が家具職人になっていたりとか。「すごいやん、他の人誰もなれてへんのに一人だけなれてて偉いやん。みんな、拍手! でも今、ここにおるからあかんけどな」って言って(笑)。 
途中で僕も「自分はこんなのになりたかってん」って、必ず挟むんです。自分のことをひとつ投げたら返ってくる。「何が食べたい?」という質問でも、僕が先に言わなきゃダメなんです。「俺コロッケ大好きやから、カレーも好きやから、いつもコロッケカレーしてんねん」みたいなのでいいんです。そうすると、まあポンポンと返ってきます。
最後は僕にインタビューをしてもらう。「その靴どこで買ったんですか?」とか、「なんでそんなにペラペラしゃべるんですか?」とか、みんながインタビュアーになるんです。
世の中って、そんなふうに聞いたり、答えたりしてコミュニケーションをする。こういったコミュニケーションが回っていることを知ってもらいます。話が合わないヤツもいるだろうし、めちゃめちゃ話が合う人に突然出会えたりもする。毎月、1時間授業を4コマ持ってこんな感じで会話のキャッチボールをするんです。吉本のタレントとのキャッチボールもそうだったんです。よく似ているんです。
「いろいろなことを包み隠さず全部言うてみ。恥ずかしくないし、黙っておいてやるから俺には教えてや」っていうムードづくりが一番上手くいきました。

刑務所の“教育係”として評判が広がる

――刑務所での仕事はどういうきっかけで始められたのですか。
吉本興業在籍時代「住みます専務」東北担当をしていたときに秋田刑務所の慰問に行ったのがきっかけです。若手芸人と一緒に行ったんです。芸人が30分、僕が60分の持ち時間です。でも、若手芸人がまだ新人で、「無理です」って10分で降りてきちゃった。でも、30分と約束したからには何があっても30分せなあかんのです。10分にした途端に、「せっかく楽しみにしていたのに損した」ってなるじゃないですか。だから、結局「俺がやるわ」って残りの20分と自分の60分を話しました。最初は吉本に入る若手の思いとか、苦労とか、夢などのことを話したんです。「よそでケンカしたり、仕事もできへんかったりしたヤツが吉本に集まってくるけど、そこで一生懸命競争することで一番になっていくことに必死になれるんやで」という話をしました。
――とっさの判断でいきなりですか。
はい。秋田刑務所ってケンカか窃盗か薬か、売春幇助といった罪で3年で出たり入ったりする暴力団系の受刑者が多かったんです。だから、何をしゃべろうかなと思ったときに、「吉本にはあんたらみたいなヤツがたくさんいて一生懸命がんばってるんだ」という話をしようと思ったんです。
刑務所では受刑者同士のケンカが多いと聞いていたので、「皆さんはケンカが多いと聞いています。ケンカに勝って得しましたか? 得もせんし、損もしませんよね? 勝っても負けてもケガしますから損しますよね。ここでケンカなんかしたってしょうもないでしょ。男ちゅうもんはシャバに戻って…」みたいな話をしました。
彼らにヤクザをやめろとは簡単に口先だけでは言えないから、「シャバに戻ったら、男に惚れられ、男に何でも相談され、憧れられる男になってください。“おとこ”という字は、漢字の漢(かん)という字を一文字書いても“おとこ”って読むんです。“漢”とは勇敢さ、精神力の強さ、人から頼られる器量のこと」とか、男らしさとは何かみたいな話をしたら、そこから刑務所では1年間はケンカがなくなったらしいんです。
その評判が秋田刑務所から山形刑務所をはじめ、だんだん各地に広がっていった。ちょうどその頃、監獄法が改正されたんですね。その一環で各所長の権限で外部の人を呼んでの矯正プログラムを実施してもいいという時代が来ていたんです。監獄法はもともと自由を奪う懲罰的な刑法で、明治時代から変わっていなかった。その法改正で、刑務所が懲罰というより更生が大きな目的になって、僕はその時代の中で社会復帰プログラムのスタッフとして招かれるわけです。
でも、何回か行っているうちに僕が吉本を辞めることになったので、いったん刑務所の仕事も辞退させてもらったんです。退職後はしばらくアメリカのニューヨーク・ハーレムにいたんですが、帰ってきてから一度お詫びがてらに刑務所に挨拶に行ったら、「竹中さんに改めてやってほしい」と言われて。僕も途中で辞めた責任を感じていたから、やらなしゃあないなと思ってやるようになったんです。これがコミュニケーション授業の始まりです。

売れない芸人は客のせいにする

――竹中さんの話で受刑者たちにどんな変化が起きるのですか。
コミュニケーション能力がすぐに身につくとは思いませんが、何か少しでも生きる上でのヒントになればいいと思っています。僕も授業では「元々、吉本にいた」とは言わない。それを言ってタレントの裏話を期待されても嫌なので。でもときどき「10年間ぐらい笑いの前線におった人が、急に売れなくなるケースと、売れ続けるケースを僕は見ました」というような話はします。
ある日突然、お客さんが全員笑わないでシーンとしているときに、その日以降も売れ続ける芸人は、「俺のネタが悪いからウケへんかったんで、次のステージから新しいを芸やろう」と、新ネタをやろうとするんです。でも、売れなくなる芸人は、誰も笑わなかったときに「客が悪い」と言うんです。「今日の客が悪いからウケへんかった。また客が変わったら俺はウケる」と言って、自分が変わらない人は本当に売れなくなるんです。「売れ続けるって変わることやで」と、そんな話をするとみんな真剣に聞いてくれるんです。
あとは、「明日、ええ日が来るか、あかん日が来るかいうのは、あんたら次第だから勝手に決めてな。僕はええ日が来ると思って毎日ここに来ているけどね。『明日はまた悪い日が来る』とか、『自分はどうせ刑務所におったから』と、後ろ向きに思っている人は、きっと肩も凝るし、腰も痛くなる。新しい友だちもできへんと思うで」と言うと、みんな「おーっ」と言います。話しながら「この人らはここに刺さるなあとか、ここをもっと聞きたがるなあ」とか探すんです。

文・鈴木涼太
写真・大井成義

竹中 功(たけなか いさお)モダン・ボーイズ
株式会社モダン・ボーイズCOO。同志社大学卒業、同志社大学大学院修了。吉本興業株式会社入社後、宣伝広報室を設立。よしもとNSC(吉本総合芸能学院)の開校や心斎橋筋2丁目劇場、なんばグランド花月、ヨシモト∞ホールなどの開場に携わる。コンプライアンス・リスク管理委員、よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務取締役、よしもとアドミニストレーション代表取締役などを経て、2015年退社。現在はビジネス人材の育成や広報、危機管理などに関するコンサルタント活動に加え、刑務所での改善指導を行うなど、その活動は多岐にわたる。著書に『謝罪力』(日経BP社)、『よい謝罪 仕事の危機を乗り切るための謝る技術』(日経BP社)、『他人(ひと)も自分も自然に動き出す 最高の「共感力」』(日本実業出版社)がある。

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