赤道の海で泳げるのか?
漁場は赤道付近だったので、昼夜を問わず暑い海域でした。だからと言って、ずっと暑かったかといえばそうではありません。船室は冷房がきいているのですが、温度設定が暑がりで体が太い漁師を基準にしているので、船で「ひょろきん」と呼ばれていたヤセ型の私には寒くて寒くてしかたがなく、毛布をかぶっていてもガタガタ震えているときもありました。
寒さに耐えきれなくなったときは、表に出て操舵室のうえにある最上甲板で赤道の太陽を浴び、今度は暑くてたまらなくなるという繰り返しでした。赤道付近は日本よりも暑く、また湿度も高いはずなのですが、東京ほどのムシムシする不快な暑さは感じませんでした。
とにもかくにも暑くなってくると、波がまったくない穏やかなブルーの海面は豪華なプールのようにも見え、「ここで泳いだら気持ちがよさそうだな」と感じました。漁師にたずねると、「泳げるど」と言われ、浮き輪代わりに、漁具の一部である“浮き玉”を使おうとルンルン気分でいると、先ほどの漁師から「でも、サメがウヨウヨしちょるから、足くらいは覚悟しちょけ」とボソッと言われ、私の高揚した気分は、バケツから冷水を浴びせられたかのように消沈したのです。
サメも残酷に処理される
実際この付近で漁をしていると、体長はだいたい1メートルから大きなもので2メートル以内くらいのサメがよく揚がりました。捕れたサメのほとんどはヨシキリザメという種類で、普通のサメは濃い青、いわゆる藍色に近い色をしていますが、本種は晴天時の空のような、とても明るい抜けるような青い色をしています。スマートでいかにも動きが速そうな形をしており、いわゆる「人喰い鮫」と呼ばれる一種でもあります。
普通の魚の場合、捕れると体を左右に振ってバタバタと暴れますが、サメの場合はこれと異なり、まるで寝返りをうつように体をくねらせながらもがいてきます。必死で釣り針を外そうとローリングしてくるサメの顔をよく見ると、魚なのになんとまばたきをしています。
まぶた*の色は真っ白で、目をすっぽりと覆うのですが、気味が悪く感じたのは、サメのまばたきは人間と逆で、下から上へとパチクリパチクリするのです。
ほふく前進をするかのように、サメはローリングしながら漁師ににじり寄ってきますが、そこは漁師も手慣れたもので、焦らず奥歯を強く噛みしめた表情で、闘牛士のごとく体をさばき、右手に持っているナタをサメの頭部を斬り落とすかのように振り下ろします。
ただしこのときは、頭が落ちる程にはナタを振るいません。完全に頭と胴体を切り離すと、噛みつく余力があるサメの頭が、甲板をゴロゴロと転がるので非常に危険です。ですから頭を半分だけ落とし、サメが暴れない程度にしておきます。こうして、ほぼ安全にしておいてから、背ビレ、腹ビレ、胸ビレを包丁で切り落とし、いわゆる“フカヒレ”を取るのです。ヒレがなくなり、大きなイモムシのような姿になったサメは、ジャイアントスイングをされるがごとく、漁師にしっぽの方を持たれ、海に捨てられる運命になります。
サメにかまれる
サメも1匹ずつ揚がるのであれば、漁師も落ち着いて作業ができるのですが、群れに当たってしまうと、甲板がサメだらけになります。
そうしたときは、忙しさからついつい作業が雑になり、ケガが起きる危険性が高まります。ある日の漁でサメが連続で揚がっていたとき、突如、「おわぁ!」という叫び声が聞こえました。声の方向を見ると、ひとりの漁師が右足をサメにかまれていました。
足をかまれた漁師が、思いきり足を振り上げるとサメは足から外れます。縄を揚げている漁師は持ち場を離れられないのですが、目を丸くして持ち場から状況を見ています。
他の待機中の漁師たちが、サメにかまれた漁師の元にかけつけようとしたところ、かまれた本人が、「大丈夫じゃ!長靴をやられただけじゃ」と言いました。長靴を脱ぐと、本当に無傷でしたが、長靴には、見事に大きなケモノに爪で引っかかれたかのような穴が空いており、奇跡的にもかまれずにすんだようです。漁師たちは口々に、「すげぇ!」と言ったり、「神業じゃ!」と興奮した口調で声が上がります。そんなとき操舵室から親方のドスのきいた、「ゴルァ!!」という、今にもブン殴りに飛び出してきそうな怒声が飛び、甲板にいた全員が、一瞬にして凍りました。
普通であれば、殴りに行かないまでも、「オマエ、いつになったら一人前になるんだ!? 本当に使えないな」とか、「そんな新人でもしないようなミスするんじゃねぇよ!」といった文句の言葉を浴びせるところだとは思いますが、このときの漁師の言葉は違いました。
絶妙な漁師の叱り方
「一体、何やっとんじゃ! せっかくうまくさばけるようになったお前がここで怪我しよったら、みんなが困りよろうが!! こんバカ!!」と、操舵室から叫んだのです。たしかに口調は怒っているのですが、言っている内容としては、「お前はさばくのがうまい」「お前が欠けると、戦力が欠ける」「お前はこの船でとても役立つ人材だ」ということを伝えているのです。
怒られた本人も、このように怒られたことがとても嬉しかったらしく、今まで以上にこの船で頑張ろうと思ったそうです。怒りの感情がわき起こる理由は、「信頼する部下ならきっとうまくやってくれる!」という期待が裏切られたからです。
ペットの犬に「牛乳を買ってきて」と言いつけたとき、犬が牛乳を買ってこなくても腹が立たないのは、犬が牛乳を買ってきてくれると期待していないからです。怒りの気持ちがわいたというのは、相手に期待をしていたという何よりの証なのです。ですから、部下に対して怒りの感情を持ったときには、“怒り自体”をぶつけるのではなく、その前にあった、“期待”の部分を伝えてあげるほうが、部下は「ああ、上司はこんなふうに私のことを期待してくれていたんだ……」と伝わるのです。
まぶた*
解剖学的には、“瞬(しゅん)膜(まく)”と言い、“まぶた”ではない。人間の目にも、瞬膜の名残はある。
【今週の教訓】
叱るときには、“期待していた部分”を強調して伝えましょう
※本記事は『マグロ船仕事術―日本一のマグロ船から学んだ!マネジメントとリーダーシップの極意』から抜粋・再編集したものです。
- 齊藤 正明(さいとう まさあき)株式会社ネクストスタンダード
- 2000年、北里大学水産学部卒業。バイオ系企業の研究部門に配属され、マグロ船に乗ったのを機に漁師たちの姿に感銘を受ける。2007年に退職し、人材育成の研修を行うネクストスタンダードを設立。2010年、著書 『会社人生で必要な知恵はすべてマグロ船で学んだ』が、「ビジネス書大賞 2010」で7位を受賞。2011年TSUTAYAが主催する『第2回講師オーディション』でグランプリを受賞。年200回以上の講演をこなす。主な著書に『マグロ船仕事術―日本一のマグロ船から学んだ!マネジメントとリーダーシップの極意』(ダイヤモンド社)、『仕事は流されればうまくいく』(主婦の友社)、 『マグロ船で学んだ「ダメ」な自分の活かし方』(学研パブリッシング)、『自己啓発は私を啓発しない』(マイナビ新書)、『そうか!「会議」 はこうすればよかったんだ』(マイナビ新書)、『海の男のストレスマネジメント』(角川フォレスタ)など多数。