人間関係と共感力の関係
そもそも他人と仲良くできない原因の解明をしておく必要はある。なかには家族なのに何年も同じ屋根の下で暮らしながら、長い間、ひと言も話していない関係もあると聞く。
人との関わりは家族や友人、先輩後輩や地域住民、国民と広がっているのだが、全員が全員理解し合えるわけではない。そもそもそれができていたら戦争もないはずだ。
ここでは個性や権力、欲望や欲求がぶつかり合うわけだから、色々な歪みも出てきて当然なのだ。何もそれを自分のせいにする必要はない。ある人と分かり合えないことと自身の共感力が弱いこととは別ものと心得る必要がある。
法に背いたりせず、コンプライアンスを遵守している範囲内なら、あとはぶつかり合っても仕方ないのが人生だし、それが世間だ。
しかし、共感できない人がイッパイいることは何の不思議もない。人それぞれの感情や個性が違う分だけ、共感できない人が多く存在しても不思議ではない。
「なかにはこっちは悪くないので、向こうが謝るまで、仲良くする気はない」という人もいるだろう。私も分からないでもない。しかしそこはまぁ、その原因を解明し、仲直りの術を模索するのもいいだろう。まさに「承認」という欲求を満たす「共感」する力の使い時だ。
どうしてもムリな時には離れるのもあり
例えば、原因を解明して、お互いが理解し合うまで話し合うこともあるだろうが、真正面からぶつかり合うことに抵抗がある人も多いだろう。
「話して済むなら、ここまで仲は悪くないやろ!」と聞こえてきそうだ。
ただし、少しでも楽しい気分になりたくなったら、詫びるべきポイントを絞り込んでそこで謝罪すれば良い。相手も同様に謝らなければならないところがあれば、そこで謝罪を切り出すだろう。そうなればもう仲直り、いい人間関係になっている。
他人を否定的に見ず、肯定的に見るようになると、当然、ポジティブな関係になっていける。他人の自尊心を傷つけないように、という気持ちで接していると、そのことが他人にも分かれば、他人も自分の気持ちを把握しようとする。そしてそこで「共感」しあう表現があれば、もう仲直りして、仲良しになれるはずである。
もちろんそこには人間のエゴがあり、なかなか他人の気持を汲みとれないこともあるだろうが、それも含めて「共感」してくれる態度があればやがて心は開かれる。
大事なことは他人のいいたいことをすべて聞く。次にはこっちのいいたいことをすべていって、相手にそれを聞いてもらう。これぞ「心のキャッチボール」である。
その時、話の腰を折ったりせずに100%本気で聞いてあげることが重要だ。100%耳を傾けてくれるということで、他人は安心と信頼を感じとり、こちらの好感度もアップする。
その時、「お笑い」をきっかけにして、考えかたや感じかたが似ているという感覚に出会うと、もうほとんど「共感」という安心感に満たされ、その頃には良好な関係になっているだろう。
ただし、「捨てる神あれば拾う神あり」といわれるように、神様でさえ色々いるわけだから、他人となると、共感できない人もイッパイいることなんて当たり前だ。だからそんなこと気にしなくてもいい。他に気にすることがイッパイあるはずだから、そっちに気を回そう。
自分にまで背いて生きる必要はない。誰かと一緒にいる時に本来の自分でなくなる「負の共感」を感じとることがあったら、即その場から逃げればいい。
自分の身は自分で守らねばならない。危険を感じたら逃げればいいのだ。
嫌な学校なら行かないほうが安全かもしれない。嫌な会社だからといって辞めにくいだろうが、働き方の改革や革命は自分で起こせるのである。あまり自分に無理をして我慢をして生きていくより、前向きに新天地を探してみるのもいいだろう。
最後に言う。「学校に行くのが嫌だ。会社に行くのが嫌だ。」とは言っても死なないで欲しい。さんまさんの言葉にある通り「生きてて丸儲け」。今日を生きよう!
- 竹中 功(たけなか いさお)モダン・ボーイズ
- 株式会社モダン・ボーイズCOO。同志社大学卒業、同志社大学大学院修了。吉本興業株式会社入社後、宣伝広報室を設立。よしもとNSC(吉本総合芸能学院)の開校や心斎橋筋2丁目劇場、なんばグランド花月、ヨシモト∞ホールなどの開場に携わる。コンプライアンス・リスク管理委員、よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務取締役、よしもとアドミニストレーション代表取締役などを経て、2015年退社。現在はビジネス人材の育成や広報、危機管理などに関するコンサルタント活動に加え、刑務所での改善指導を行うなど、その活動は多岐にわたる。著書に『謝罪力』(日経BP社)、『よい謝罪 仕事の危機を乗り切るための謝る技術』(日経BP社)、『他人(ひと)も自分も自然に動き出す 最高の「共感力」』(日本実業出版社)がある。