台風に遭うと、船はどうなるか?
私がマグロ船に乗せられたのは、2001年の6月下旬でした。大分県の港を出港し、漁場である赤道付近へと船は真南に針路をとりました。
これはどういうことかと言いますと、「台風の発生シーズンに、台風の発生場所に突っ込む」ということを意味し、船にまったく慣れていない私にとっては、かなり無謀なことをしていました。案の定、台風に当たったときは波の高さは6mになり、2階建ての建物が何度も船にぶつかってくるようなものでした。
マグロ船は通常、時速20キロ程度で航行しているのですが、嵐がくると時速5キロ程度に落とし、台風のヘリを回り込むような針路に変更して走るそうです。速度をゼロにするとかえって船が不安定になるそうで、低速ながら前進をしているほうが揺れは安定するそうです。
ただ、漁師が言う「安定」は、私にとってはまったく安定ではなく、上下だけでなく、起きあがりこぼしのごとく左右にも大きく傾く船内で、激しい船酔いに襲われ、自律神経もおかしくなるせいか、浅い呼吸しかできなくなり、まさに死にそうなほどの船酔いでした。
波も、6mになると、船は上下にドンブラコと揺れるという感じではなく、遊園地の魔法のじゅうたんをもっと激しくしたような、回転する乗り物のなかにいるようでした。食事をするときも、食器があちこちに揺れ動くので、みな、皿や茶碗を抱えて食事をとっており、こういう海が荒れている日にはあまり汁気のあるようなものは出てきませんでした。
さらに苦痛だったのは、大波と正面からぶつかるときです。水というものは、静かなときにはとても柔らかいものですが、勢いがあったり、ぶつかる面積が大きいと、非常に固くなります。身近な例で言えば、プールの飛び込みは、頭からきれいに着水すれば痛くないですが、失敗してお腹から飛び込むとものすごく痛いのと同じように、波も大きくなるとものすごく大きな力を持つようになります。
なので、大波が船に衝突すると、「大型トレーラーがぶつかったのでは?」と思うほど、大きな「ドゴォーン!」という衝突音と激しい衝撃が船内に走り、「船体がまっぷたつに折れ、荒天の海に投げ出されるのではないか?」という不安と恐怖で生きた心地がまったくせず、狭いベッドの端を強く握り、毛布をかぶり、普段はほとんど信じていない、神や仏だけではなく、まだ生きているおばあちゃんにまで、「私をお守りください!」と祈っていました。
そんな、私にとっては生きるか死ぬかの状況であっても、漁師たちは普段と変わらない様子で、パチンコの話や帰港後にどこに遊びに行くか?という話で盛り上がっていました。
そんな漁師のひとりに、「こんなに揺れてて酔わないんですか?」とたずねたら、「ちょっと食欲は落ちるけぇのぉ」と軽く言われ、改めて「漁師ってすごいなぁ」と思いました。しかしそれ以上にすごいと思ったのは、その後に漁師が、「でもオレは、船よりも電車のほうが酔う」と言われたことで、「ああ、もうこの人たちは自分とは次元が違う」と妙な納得をしてしまいました。
ちなみに船の仕事をしている友人からも話を聞いたのですが、私が乗っていた漁船よりも、10倍くらい大きな全長200メートルくらいある巨大な船でも、「大波をかぶって帰港すると、金属でできている柵などはベコベコに曲がってるぜ」と言っていたので、やはり波の威力というのは大変に強いものだなと思いました。
一歩間違えば死ぬような命令を下す船長
嵐のピークが過ぎても、強いうねりに船はオフロードの道を進むようにガクンガクンと不規則な方向に傾きます。そんな状況のなか、船長はひとりの若い船員に指示を出します。
船長 「オウ、この電球、あとで替えちょってくれ」
船員 「え~、オレがやるんか?! わかったエエど。 あとでな」
船長が取り出した電球は非常に大きく、バレーボールの玉くらいの大きさがあったように記憶しています。この電球はどこに付けるものかと言いますと、船首部分から、約6メートルの高さにある長いポールの途中にあり、操業中の夜間、甲板を照らす非常にまぶしいライトなのです。
足下は濡れて滑りやすく、また不規則に大きく激しく船は揺れているので、ポールから落ちる可能性が高く、落ちたら一瞬で、悪魔の手がうごめいているような不気味なうねりに飲まれ、救出することなどまず不可能です。そんな状況下でも船員は、口では嫌がりながらも、特に反抗することなく、「あとで」と言いつつ、すぐに作業に取りかかっていました。
船に乗ったときにはすでに、船長が船員から非常に信頼を集めていることは感覚としてわかってはいましたが、命がけの仕事でも逆らわずに指示を受けるのを見て、「自分だったら、そこまで上司の命令に、従えるだろうか?」と考えさせられました。後日、船長に対し次のようなことをたずねてみたことがあります。
「船長はみんなからすごく尊敬をされているようですが、それはやっぱり船長自身が、なんでも仕事をうまくこなせるからですか?」
「おいどーは体が太ぇけぇ、素早く動くんは得意じゃねぇのぉ」
「船長」と呼ばれる人は、“体力”・“技能”・“判断力”など、すべてにおいて一般船員を圧倒しているから、周りからの信頼を集めていると予想して、私はそのような質問をぶつけたのですが、体重が90キロ近くありそうな、ずんぐりむっくりとした熊のような体格の船長は、アッサリと「素早く動く仕事は苦手だ」と言い放ちました。
意外な答えに目をパチクリしていると、船長は話を続けます。
「マグロ船ではすごいことができる奴は尊敬されんのぞ」
「ええ! できる人だから、“船長”になるんじゃないんですか……」
「自分がデキ過ぎると、普通の人やらの気持ちやらがわからねぇんじゃねぇか。 それでつい、『何で、こんなこともできよらんのか、このバカ!』ちゅーて怒鳴るけぇ、みんな嫌々働くようになる」
「なるほどですね。 みんなやる気をなくしちゃうんですね」
でも、そうした怒鳴る船長の下では、負けん気のある漁師は、「いつか見返してやろう!」と頑張り、いい船になるような感じもしたので、その辺りはどうなのかをたずねてみました。
「う~ん。 何でもできるよる船長は、若ぇ子たちに、『早ぅ、仕事を覚えろ!』と怒鳴るくせに、実際、若ぇ子が巧くなってくると邪魔するけぇのぉ」
「“デキること”をウリに船長になってしまうと、他の人に追い抜かされそうになると必要以上に脅威に感じてしまうんですかね?」
「そげ~じゃのぉ~。 だからデキる船長の下では、案外いい船になりにきぃ」
しかしそうなると、私のなかではまた新たな疑問が生じました。それは、「能力が低い船長に、みんなが尊敬の念を持つのだろうか?」ということと、そもそも「能力の低い人が船長になれるのだろうか?」という疑問です。そんな疑問に対しては、次のように話してくれました。
「船長になるためには、デキるようになることは大事じゃ。無能じゃ困るけぇのぉ。でもの、デキるようになること以上に、大事なことがあるんど」
「それって何ですか?」
「うまくできる子がいたら、『うめぇのお』と、素直に褒めたり、認めたりしてやることど」
「それはナゼですか?」
「いっくら、船長に技能があってもの、船員から好かれちょらんと、言うこと聞かんけぇ。船長にとっての大事な能力やらは、“みんなを負かすほど巧くなりよること”じゃのーて、“好かれること”だと思うど」
このあと船長から聞いた話では、「誰よりもうまく仕事をこなしたい!」と言えば向上心があって聞こえはいいが、それは言い換えると“周囲の人を打ち負かしてやろう”と考えているのと同じで、本来は“仲間”のはずが、気づけば“敵同士”になってしまう危険性があると言っており、このことに気づかないから組織はうまくいかないんだと、大きな目は表情を変えず、淡々と話してくれました。
人間は誰しも自分の存在を認めてもらいたいものです。企業研修のとき、「みなさんは、職場の同僚や上司から、褒めてもらったり、働きを認めてもらうことはよくありますか?」と質問をすると、約9割は、「そのようなことはほとんどないですが、文句ならよく言われている」と回答し、女性ほど、「もっと認めてもらいたい」という要望を口にします。
これはつまり、「自分を認めてほしい」という“需要”は大きく、“供給”が追いついていない状態なのです。ですから、“人の美点を見つけて褒めてあげること”は、“人よりも優秀な技能を持つこと”と同じ、もしくはそれ以上の能力になるのです。
優秀な部下ほど「自分の能力を使ってほしい」と思うものですが、そうした部下たちは、優秀だけど変に競争心やプライドがある上司の下につくと、逆に「潰される」と感じています。能力のある人は、その能力を見抜いて活かしてくれる上司の下で働きたいと思っているのです。
※本記事は『マグロ船仕事術―日本一のマグロ船から学んだ!マネジメントとリーダーシップの極意』から抜粋・再編集したものです。
- 齊藤 正明(さいとう まさあき)株式会社ネクストスタンダード
- 2000年、北里大学水産学部卒業。バイオ系企業の研究部門に配属され、マグロ船に乗ったのを機に漁師たちの姿に感銘を受ける。2007年に退職し、人材育成の研修を行うネクストスタンダードを設立。2010年、著書 『会社人生で必要な知恵はすべてマグロ船で学んだ』が、「ビジネス書大賞 2010」で7位を受賞。2011年TSUTAYAが主催する『第2回講師オーディション』でグランプリを受賞。年200回以上の講演をこなす。主な著書に『マグロ船仕事術―日本一のマグロ船から学んだ!マネジメントとリーダーシップの極意』(ダイヤモンド社)、『仕事は流されればうまくいく』(主婦の友社)、 『マグロ船で学んだ「ダメ」な自分の活かし方』(学研パブリッシング)、『自己啓発は私を啓発しない』(マイナビ新書)、『そうか!「会議」 はこうすればよかったんだ』(マイナビ新書)、『海の男のストレスマネジメント』(角川フォレスタ)など多数。