心のキャッチボールは上手くやっていますか?
私は、良いコミュニケーションができていることを「心のキャッチボールが上手くやっている状態」と話している。
他人の気持ちを感じとり、他人と「共感」し合える部分が見つかった時、いい人間関係ができ、ひいては、いい仕事ができていた。ここでいう「共感」とは、意思の疎通がうまくいき、心や気持ちが通い合い、お互いのことを理解して、相手のことを好きになって、自分のことも好きになってもらうということだ。
この「好き」は「信頼」に置き換えてもいい。承認を求める欲求を満たしてくれるのがこの「共感力」だといえる。そしてその力があればヒトが動き、モノが動くのである。そんな空気の読み方、感じる力を手に入れる目的がこの書?コラムである。
そこでいま一度、「考える」という行為の向こう側にあるものを探してみた。
いま一度「考える」ことについて考えてみる
サラリーマン時代の私も同僚も「考えること」を大事としていた。そんなセリフは先輩から後輩に、上司から部下へ、親から子へといい伝えられているような気がする。
しかしいくら考えたからといっても、いい結果が出た時にしか褒められない。当たり前のことだがよく考えるということは、良い結果を生むための作業でしかない。もちろん、ここには「こっちさえトクすればいい!」といった悪巧みも含まれるのだが、基本、自分の都合のいいほうに働かせたり、危険から回避するために頭を使ったりする。
そこでいま一度、「考える」という行為の向こう側にあるものを探してみた。
いまの時代の働きかたは、成績を上げ、上司に褒められ、または叱られないように、(「株主のため」という声はあまり聞こえないが)会社に奉仕するというだけではなく、現実は自分自身の成長や達成度を高めたり、満足感を手に入れたり、他人に承認してもらいたいというようなことなどに重きを置くようになってきた。そういうところに特徴がある。
誰もが「成功」を手に入れたいという願望があるのだろうが、どうも「成功」は最終目標でもないようだ。もちろん、ラクしてお金がたくさん入ってくることには大賛成だが、お金がその手に入るまでの経緯や方法のほうが大事だといえる。そのプロセスが充実していれば、その結果、上手くいかなくってもまたやる気や次なる夢は残るというものだ。
そういう時代では、考えに考え抜くよりも、人と人の関係や自分の満足などを「感じる」ほうが大事なのでは、と私は思うのだ。
あえていいたいこと......考えずに感じろ!
「考えずに感じろ!」ということで、いままで、誰ひとりとして「考えなくっていい」なんていってくれなかったので、あえて私はいいたい。
Don’t think! Feeeel!!
これは1973年に製作されたカンフー映画『燃えよドラゴン』のなかで弟子に稽古をつけるブルース・リーのセリフだ。
実はこのコラムでは「考えること」に関しての参考になるような方法や術は一切書いていない。先に伝えておくが「考える技術」や「考える方法」「考えるヒント」「考えかた」などはほとんど載っていない。そうしたコツもノウハウも載っていない。
ここに書いてあることは、実は誰もが説明しにくかった「共感力」だ。
欲しいものは「共感」。そのために身につけたいことは「空気を読む力」だ。そこにフォーカスして「直感力重視」の「動物的感覚」や、「JK」のいう「KY」とのつき合いかたを扱ってみた。
その原点は、私の高校の世界史の清水睦夫先生から「新大陸発見というてるのは、しょせんヨーロッパから航海してはった人の目線やからね。元々その土地に住んでた人から見たら『一方的に発見て何ですのん?』というてはったわ」と教わったことだ。
それに加えて、私が吉本興業のプロデューサーとして35年ほど、ヒトを笑わす芸人の裏方として彼ら彼女らを支えてきたことから得たものから来ている。
演芸場の舞台に立つ芸人は、己を知り、相手を知り、空気を読み、出番の順番の流れの中で、自身の最上の「お笑い」を提供する。
これは、いまよくいう「ラテラルシンキング(水平思考)」が完全に応用されているといえる。ある本の解説によると「ロジカル(論理的)ではなく、簡単で自然な創造的思考法を通じて、新たなアイデアを生み出す」とある。確かに「お笑い」は一般常識や論理をぶち壊すからオモロイのである。あれこれ難しく考えることをやめてみようではないか。
例えば4つのミカンを3人で分けるという質問があった時、「割り切れない」と嘆くあなたは論理派といえる。
さぁ今日からは、人生を「大喜利」のようにとらえ、楽しんでみるのはどうだろうか?