会議時間を有意義な時間に変える 突然ですが、質問です。会議は、誰のためにあるのでしょうか? 答えは簡単、会社と参加者一人ひとりのためにあるのです。ということは、会議に参加したみなさんの、仕事の役に立つものであるべきでしょう。 ところが実際はどうでしょう? 参加者全員が知恵を絞って、議論をし、その後の業務を加速させる有意義な会議になることもあると思います。一方で、これとは真逆の会議も潜んでいるのではないでしょうか? むしろ、そのほうが多いのでは? たとえば、「呼ばれたからとりあえず出席する」といったような会議です。あるいは、何らかの都合で会議に参加できない上司など、誰かの代役で出るようなものも、考えられるでしょう。ここで何を議論するのかもわからないまま席につき、「とりあえず頭数だけいればいいから」と、これといった意見も要求されない。 本人にとっては、本当に無意味な時間です。おそらく冒頭だけ少し話を聞いたら、ノートパソコンを開き自分の業務の続きをこなすことになるでしょう。 そんな会議に対し、本人は責任を持てません。議題に踏み込むこともなく、決議も周りを見て多数派に流れてしまうことでしょう。そうした過程を経て生まれた仕事に、情熱を注いで臨める人はいないはず。連鎖的に悪い形で影響し、結局誰もハッピーになれない結末を迎えてしまいます。 上司の顔色をうかがわなくてはならないのは? 会社員時代のこと。取締役も参加するある会議で、私は取締役の推す考えに反対意見を申し立てました。反対だったのは、私だけではありません。会議前の雑談では、周りのメンバーがみんな同じように考えていたのです。 ところがフタを開けてみてビックリ。会議中、私の援護をしてくれる人は誰一人いなかったのです。私は全員の総意だと話したのですが、当然ながら伝わりませんでした。これだけでは終わらず、その年の人事評価では、厳しい査定を受けました。一番の成績をあげていたにもかかわらずです。 他の例もあります。業務改革のプロジェクトに携わっていた私は、ある社員と対立していました。相手は17歳年上のお局社員。事あるごとに、私の意見は否定されます。 そこである日、少し作戦を変え、私の提案を、会議で直接伝えるのではなく営業部から出してもらうことにしました。そうしたら、スルリと通ってしまうではないですか! 彼女は案に対してではなく、「私」を否定していたのです。 この2つの例からは、意見の評価には人の偏りがつきものだということがわかります。相手が上司となると、社員たちも気を遣うもの。とくに反対意見は、述べたときに自分に降りかかるリスクを考えると、なかなか言い出しにくいものです。 また、2つめの例とは逆のパターンになりますが、会議中の意見の対立は人間関係の悪化を招く可能性もはらんでいます。けれどもここで考えてもらいたいのは、本当にその状態で会議の目的が達成されるのかということ。会議で検討すべきは意見の内容であって、発言者によって左右される性質のものではありません。入社して間もない新人や苦手な同僚であっても、彼らの意見の妥当性が高ければ、それは評価すべき。それが仮に、権限のある上司の意見とは正反対のものであってもです。 結論ありきの出来レースなのは? 意見について偏った評価がされるケースは他にもあります。対立が生じたときです。 A案とB案、どちらを採用するか決めなければならない会議では、往々にしてA案派とB案派に分かれます。 おそらくA案派は、A案のメリットを中心に主張し、デメリットについては発言を控えるはずです。そして対立しているB案については、どんどんとダメ出しをすることでしょう。B案派も同じように、B案のよさを強く押し出し、A案の欠点をあげつらうはずです。 この展開には2つの問題点があります。 1つは、仮にA案派4人、B案派3人となった場合、この時点でA案が採用されることは大筋で決まったようなものです。なぜならA案派は、B案派に対してA案にすることの説得にかかっているからです。 そしてもう1つの問題は、検討に偏りが生じてしまうこと。おそらく意見が分かれる案は、どちらにもプラス面とマイナス面を持ち合わせているはずです。本来であれば両面を冷静に見定めて、企業活動にポジティブに作用する案を選択すべき。最初の段階ではA案派であっても、A案のデメリットとB案のメリットをすべて洗い出し、そのうえでそれぞれの課題点をどう克服するかを検討し、改めてどちらの案を推すかを決める必要があるのです。 しかし、あらかじめ二手に分かれた議論では、十分にその作業を行えません。会議はディベートとは違います。多面的な視点と考察が、参加者一人ひとりに求められるのです。 会議は会議室の外で行われている? 日本の企業社会には、独特の慣習があります。「根回し」です。議案を通すため、事前にキーパーソンと接触し、案についてアピールして賛同してもらえるよう交渉します。反対意見の持ち主に説明して、何とか賛成に回ってもらう、賛成の人に会議中に援護してもらうよう取りつけるなども、根回しといえるでしょう。 だいたい、案そのものの評価ではなく、派閥の支持や参加者の地位などで議決が左右されるというのなら、会議など開かなければいいでしょう。「会議をやった」という既成事実をつくるのが目的の会議ほど、無意味なものはありません。 ここまで、人が育たないダメ会議の例を挙げましたが、うんざりしますね(笑)。けれども「会議がつまらない」「有意義な会議になっていない」と感じる方には、思い当たるところもあったのではないでしょうか。 個のスキルに依存 時間がかかる、本題から逸れる、意見が出ない……などなど、会議にはさまざまな問題点があります。では、これらの問題が生じるのは誰のせいでしょうか? 厳しいですが、これは会議に参加する「みんなのせい」、つまり「あなたのせい」です。 多くの会社員は、ファシリテーションの専門スキルを学んだことがありません。これまでの経験から、自己流で進行しているに過ぎないのです。進行役に限りません。参加者も、発言のタイミングや発言の内容、言葉の長さ、他の意見に対する反応など、周りの空気を読みながら個々で判断しています。その小さな積み重ねの結果が、人が育たない会議を生み出しているのです。 これを踏まえると、参加者個人のスキルや良心を頼りにしては、いい会議にはならないことがわかります。集まる人たちによって、会議の質が左右されてしまうのです。 会議を成功させるには「しくみ」が必要 どんなメンバーが集まっても、活発な議論が展開されること、またスムーズに進行し時間内に設定した目標に到達するには工夫が必要です。 つまり会議の質を保つには、個人に依存するのではなく、「しくみ」を設けるべきなのです。たとえば、一部の人ではなく全員が発言できる「しくみ」、それぞれの議題について議論できるように時間を管理する「しくみ」、そして案に対して偏りなく検討できる「しくみ」や、決議が参加者の肩書や派閥に左右されないための「しくみ」です。 これは、人材育成においても同じことがいえます。OJTと新人の教育係にすべてを委ねていては、安定した成長は望めません。本人の意思と成長に直結する機会の頻度、また教育係の関心やスキルなどによって、成長の度合いが大きく変わってしまうからです。一定の「しくみ」によって、成長を補うことはとても大切なのです。 さらに、オンライン会議では、ムダな動きで疲れさせない「しくみ」が特に必要です。たとえば、話は聞こえているという前提、見えているという前提、理解できている、わかっているという前提で話を進めることにしておくのです。そうすれば、わかったという合図は不要です。 にもかかわらずオンライン会議では、わかった場合もうなずきを大きくさせたり、両手で大きなわかった合図をさせたりするなどムダな動きを強要させ疲れさせてしまうのです。 ※本記事は『期待以上に部下が育つ高速会議』から抜粋・再編集したものです。 沖本るり子(おきもと るりこ) 「5分会議」🄬を活用した人財育成家。1分トークコンサルタント。株式会社CHEERFUL代表取締役。「人財育成と組織改革」を柱に、企業向けコンサルタントや研修講師を務めており、台湾(労働部)主催の講演会でも登壇した。「5分会議」🄬はRKB毎日放送「今日感テレビ」で紹介された。著書に『相手が”期待以上”に動いてくれる! リーダーのコミュニケーションの教科書』(同文舘出版)、『生産性アップ!短時間で成果が上がるミーティングと会議』(明日香出版社)、『期待以上に人を動かす伝え方』(かんき出版)、『期待以上に部下が育つ高速会議』(かんき出版)など多数。株式会社CHEERFUL